昭和四十五年七月三日 夜の御理解


  こうして御結界に奉仕させて頂いてつとめさせて頂いておると、どうやらまあしゃんと出来とるですけど、今日は私は朝からおりたが最後、肩で息をするという、きつい時には。肩で息をするごときついとですよ。はずれたらそれにはんして、勝手にさがりますと家内がもうそれこそ生き生きとしてチンチロまいして、今日だけの事じゃない、いつもですけれども、まあよーあれだけ本当に疲れも見せずに生き生きとして御用があれだけの事が出来る事だと思うくらいです、うちの家内は。ところがうちの嫁さんなお広前でてくるともうどげん、大祓でも例えばあげよるじゃれあげよらんじゃれ分からんごたる、もう眠うしてこたえんちごたる風にしとるけれども、本当にそれがひとつになってここでも生き生きしてるなら下がってからも生き生き出来ておるようなおかげ。家内でも勝手での生き生きとした御用がお広前で出来たら又一段と生き生きとした御祈念でも出来るようにならせて頂いたら、いよいよ有り難い事だろうと思うんですけどね。
  どういうような事から、今日あたり体がきついだろうかと思って神様にお詫びさしてもらいよりましたらね『お供え物がうず高く、八足の上にお供えしてあるとが、もうこう八足の足がゆらゆらして、今にも下におかげが落ちるようなところ』を頂ましてね、いわゆるおかげの頂すぎだという事ね。
  先日も月次祭の後に企画の方達が四・五人残って、いろいろ企画しておりました事だったそうですけど、その事、間に私が頂く事が、隈井さん所から頂いとる大きな梅の木が客殿の向こうにありましょうが、あの梅の木なんです。あの梅の木にですね、もう大きなそれこそうぐいすがとまってるんです。そして
あんまり大きいもんですから、その梅の木の枝がヒョーヒョーしよっとこを頂きますもん。そいけん「今日あんた、どういう計画、企画をしたか知らんけれど、今日の企画はちょっと合楽には重すぎるような感じがくるのだけど」と申しましたら「実は私共も考えんごとなかった」というような、いわばここの五年祭をきしていろんなその地形の事についての企画があっとったようでしたがね。これはもうもっともっと、ほんならどげん大きなうぐいすがとまったっちゃびくともせんごたる、その梅の木にならなきゃならない事ですし、どんなたくさんの【 】それこそ、びくともせんだけの信心頂かな、これはほんなこて難しかちゅうごたる感じが今日はするんですよ。もうおりてなごうなったら、もうほんなこて肩で息するごときついとですよ、今日は。どういう・・・「そりゃああんまりお水を頂きなさるけん」とこう云うけど、まあ本当におかげの頂きすぎがそういう結果になるというような事であったとしたら、これは大変な神様に対して御無礼だと思うてですね、今日は感じさせて頂いた事でした。どうぞ。